就活してたら全裸で救急車に運ばれた話。《就職せずにNPO設立までの道のり》

誰だろう、この質問したの。

ま、匿名で質問できるということで、当たり前だけど誰だかわからない人から質問が飛んでくる、最近流行ってるアプリSarahah。 使ったことないし、全然知らない人に文句言われるのもやーだから、Twitterに貼り付けたりもしてなかったんだけど、こんな質問がきて、なんだか懐かしくなったので、質問に答えようとしたら、話しが複雑すぎてTwitterでは無理だったので、ブログで書きます。。。

※ちなみに現在2018年2月、NPO法人アラジとして、シエラレオネで第4度目の現地活動中。日曜日は本当に動けなくて街に誰もいないので、(テイラーさんたちもいっせいにお休みです、うちの組合の人たちは何人か働いているけれど…)質問にお答えすることにしますー。

まず、よくよく思い出すと、そういえば就活はしてました。

アラジを設立した経緯と、その後については「先生さようなら。私のすべての原点と、先生がくれた繋がり。」にも書きましたが、任意団体のアラジを立ち上げ日本で啓発活動と日本人の夢を応援する活動をはじめたのが、大学卒業後すぐで、その後はアルバイトをしながら、卒業後3年でNPO法人アラジを設立しました。(去年2017年7月7日)これが卒業後のざっくりした現在までの経歴。



さらに、幼少期からざっくりさかのぼると山梨県に産まれ高校2年生の時にシエラレオネのことをテレビで知り、その後は国際協力を専攻できる桜美林大学で4年間NGOについて学んでいました。バリバリの国際協力・ボランティア活動などに興味がありまくる、意識が若干高めの大学生でした。かといって、バイトして稼いだお金を焼肉かカラオケに散財。どこかの学生団体に所属するわけでもなく、気の向くままに、途上国研修に参加したりしていました。

そもそも誰かと協力して何かをやるのが苦手で、でもその背景には、一つのことに夢中になりすぎて、組織の中で本気でない人たちとぶつかるのが嫌で、全国際協力系の学生団体を自分から避けていました。(桜美林は国際協力系の学生団体が10以上あるのに今考えるともったいない!)

いつからか、超能力で生徒の未来が見えると噂の先生に「ゆめちゃんは、できるのにさぼってるよね」と見透かされ、なぜか過去大勢いる学生の中で自分だけ名前で呼ばれることにざわざわしたりしていました。その後こんなとんでもない生き方するとは自分でも思わなかったけれど…。

出てきてはいけないプリクラを発見

日本で一番歴史あるNGO・シャプラニールでインターンした時に、授業で習ったNGO論と、実際に自分でO⇒1を作り上げ、新卒でNPOに就職することや、自分でNGOを立ち上げ活動することの、大学の学びと実務の隔たりの差にがっくりしました。大学では、正直言って、NPOを自分で立ち上げどうやってマネタイズしていくのかの実践論について、何一つ教えてくれなかった。それで、当時21歳だったんですけど、大学3年から「ファンドレイジング協会」に通いはじめ、社会課題解決のためのプロジェクト達成に必要な、仲間とお金を集める方法、自分で組織を運営していく方法を学んでいきました。当時ファンドレイジング協会で講習を受けている学生は約100人中知っているだけで3名くらいでした。

なんだか納得しないまま、周りに流されなんとなく就活を始める

そんなわけで、学生時代、国際協力ゼミでずっと世界のいろんな国へ挑戦する仲間たちと学んできた私にとって、そして「就職して親を安心させて、土日はボランティアして、ちょっとどこかに寄付して生きていけたら…」と思う自分と「このままシエラレオネに挑戦しないで、死ぬ間際に挑戦すればよかったって後悔する人生なんて嫌だ」という思いがだんだん交差するようになりました。

「エントリーがはじまってどこどこのサイトがいい」とか、「エントリーシートの書き方あの先生が教えてくれるらしい」みたいな周りの話しに、全然ついていけなくなっていて、気づいたらみんながスーツ着てあくせくしている間に、半年たっていて、そこでなんとなくやばいと思い、周りから半年遅れてなんとなく、就活をはじめてみました。で、就活スーツを買いにいったときに、「ご入学ですか?」って言われて自分の童顔を心底呪ったw

もう就活ってなに?っていう感じで、全然興味もないし、全然知らない会社に自分を売り込むなんて絶対無理。と愕然と信じていました。

今でも覚えているのですが、私が受けた会社はたったの一社だけで、(それも両親と同じ会社の名前だったので超名前も覚えてるw)ソーシャルビジネスで途上国に専門学校を運営している、という感じのことをやっていたのですが、面接ど素人なのになぜか最終面接までトントンと行きました。この時点で1000人⇒15人くらいになっていたらしい。で、見事最終面接に落ちました。

受けたたった一社の最終面接に落ち結構なショックを受ける

おそらく人生で最初で最後の「お祈りメール」だったかと思うのですが、メンタル繊細すぎる私は、そのタイミングでちょうど実家から一人暮らししている町田の家に荷物が届いて、母親が送ってくれたお米やらお菓子やらをみてなぜか号泣⇒そのままお風呂でシャワーを浴びてたら⇒低血圧でぶったおれる⇒救急車という流れになりました。

は??

って感じかと思うのですが!あ、このまま過呼吸で倒れる…と思って、自分でお風呂場から救急車を呼びました。笑 高校生の時から追いつめられると過呼吸&生まれつきの低血圧で(最低70前後)なんとなくこれはやばいと事前に察知。

そのまま、シャワーつけっぱなしで、床、海状態。

3人の男性救急隊員に全裸で発見され

そこらへんの毛布にくるまれ搬送されました。

もう意識ないかと思われてたみたいで、結構な修羅場でした。

全裸で救急車のその後

次の日ぐらいにひょろっと元気になって(病院での検査のあれこれはちょっと割愛)自分で、タクシー拾って帰ってくださいねと言われて、気づいたら、救急隊員の皆さんが、搬送前に私のために勝手に部屋を漁って選んでくれた全身コーディネートが、上下チェック柄でした。上下チェック柄で帰るのきつかったーーーwww

 

 

卒業の3か月前にNPO法人の有給スタッフに

結局いろいろあり、新卒でNPOに入るのは難しい、と言われているこの業界で、卒業の3か月前から横浜にあるとあるNPO法人の有給スタッフになることができました。卒業式の日は逆に休みをとって、朝からのんきに美容室へ行き、卒業式にはめんどくさいので参加せず、その後のゼミ飲み会だけ参加しました。(同じ理由で成人式にも行ってないw)

その後NPOを1年弱で辞め、WEBデザインの専門学校へ行きました。ファンドレイジング×広報というところで、効果的な魅力発信だとかそういうところを学びたくて。授業もきちんと決められたコースと科目があったのだけど、そのスケジュールを潔く無視し、勝手に学びたいところだけ学んで、最終科目行く前に退散という自己中さをここでも発揮。。。

その後はアルバイトを続け、世田谷在住⇒今年からいよいよ事務所の近くへ引っ越し。というステップを踏んでいます。アルバイトでは、がつがつ働かせてもらったり、長期のお休みをいただいたり、皆さんにとっても大事にされながら、本当にやめるのがめちゃくちゃ寂しいくらい、よくしてもらって働いていて、今年の9月に卒業する予定です。

親にはあいかわらず心配&迷惑かけてますが…

最近の私。年とったなコワ!笑

 

てな感じで、敷かれたレールをはずれにはずれ、世間一般の「社会人」の常識概念からはずれにはずれ、あれから今はシエラレオネに4度も挑戦させていただいております。

上記クラウドファンディングで応援していただいた皆様本当に本当にありがとうございました。

無事にネクストゴールも達成し、一昨日、シエラレオネで現地事務所を契約しました。

かなり大きな建物の2階一式。3room。

これが最近の一番の前進。

今までの応援や、がむしゃらにやってきたことが成果になってみえてきたところです。

 

 

現地事務所を作ったからには、ますます応援してもらっている人たちに、見える形で成果を残していかなければ。シエラレオネの人たちとこれからも協力して頑張っていきます!

 

 

そんな感じで、私の人生をかけた挑戦はまだはじまったばかりです。

あ、質問に答えると、そう…

 

就活をしていたら全裸で救急車で搬送されました!

 

というのが答えです!笑

もし、倒れるくらい進路に悩んでいたら、死んだとき挑戦すればよかったと思うほうを選びましょう。たった一度の人生。私だったら後悔したくない。

 

ちなみに最後に、Saharahで質問したい人はどうぞ~気が向いたら答えます。

シエラレオネの歩き方

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下里 夢美
月間10万PVブログ「みためはコドモ・ずのうはオヤジ」管理人。NPO法人Alazi Dream Project:代表理事長・ファンドレイザー/アフリカ女子部:部長/女性のためのインタビューサイト「キアラ」:編集長/夢持つ人がもっと輝くために、誰もが誰かの夢を応援できる社会の実現をめざし、夢追い人に登壇機会を提供・イベント収益の一部を「世界で最も命の短い国:シエラレオネ共和国」での就労支援に役立てることを目指し2014年3月7日より活動◎※インタビューのご依頼はFacebookにて!