私が就職しないで国際協力を仕事にできた8つの理由

私が就職しないで国際協力を仕事にできた8つの理由
大層なタイトルになっちゃったんですけど、この手の記事を書こうと思ったのには理由があります。先日起業サプリジャーナルさんに取材していただき、こんなインタビュー記事を掲載していただきました。
シエラレオネの神様に選ばれた唯一無二の日本人女性。「社会貢献を仕事にできることを社会に証明したい!」という想い | 起業サプリジャーナル
シエラレオネの神様に選ばれた唯一無二の日本人女性。「社会貢献を仕事にできることを社会に証明したい!」という想い【起業インタビュー76回目】
この時のインタビューで…
「将来途上国のために何かしたいと思ってもそれを仕事にできずに諦めてしまう人が多い中で、続けてこられた秘訣はなんですか?」
という質問をたびたびされたのです。
例えば国際協力を仕事にすることを諦めてしまう理由は以下ではないでしょうか。
- 新卒を受け入れてくれる就職先NPOの少なさ
- 国連職員を志望するハードルの高さ
- 就職しても不安定な収入
- 起業しても予防・啓発・支援とビジネスと結びつかない活動も必要な社会起業の分野で食べていくことの難しさ
- 途上国へ渡航することに対する親の反対
- パートナーの理解不足や、将来家庭をつくることへの不安
私自身、実際に技術面で評価され、家族の理解をやっと得て、数少ないNPOの狭き門へせっかく就職…というところまでいっても、圧倒的な収入の少なさから、結局は転職してしまう人を、インターン時代に目の前で見たこともあります。
ただ今、お仕事で関わっている人や一緒に登壇する人たちは、アフリカへ赴きバンバン私より全然すごいビジネスやらソーシャルインパクトを残している人たちなので、最近は特に考えたこともなかったです。この4年間割りと必死だったのもあり…。
大学卒業と同時に、所属していたインターン先や、学生団体を辞め、普通に就職してしまう人たちが大勢いて、「彼らが諦めてしまった人たち」なのかはわからないんだけれど、私が続けてこられた理由を考えてみれば、続けられる秘訣みたいなものが見えてくるんじゃないかと思って、インタビューではうまく答えられなかったこともあり、改めて自己分析も含め、以下に列挙してきたいと思います。
1.そもそも私の原動力は「怒り」だった。
原体験ってあると思うのですが、私がシエラレオネをテレビで知ったときのはじめての感情は、かわいそうとか、何かしてあげたいという使命感じゃなくて、「怒り」だったんですよね。
まぁ、当時から短気でシエラレオネでも全然思い通りに行かなくて怒ってばかりなのですが、私の原動力は紛れもなく「シエラレオネへの憤り」であって、シエラレオネを誰も知らないこと、世界から見捨てられていること、だから私がやるしかない、あーもうなんで思い通りに行かないんだ、このシエラレオネめ~という怒り。笑
「どうしてそんなに行動力があるの?」「すごいね!」とよく言われるんですが、それって間違いなんですよね。私は常に怒っているいる。お金がなくても、人脈がなくても、英語がわからなくても、私はただ単に、高校2年生~大学卒業するまで、シエラレオネに対してずーっと怒っていたので、周りがみえておらず、それが初期の行動を駆り立てたのかもしれません。冷静になってみるとそう思うw
アフリカが大好きで、使命感で、人に認められたくて…で、続けようとしても続けられなかったと思います。
2.「シエラレオネを何とかしたい」のが夢なワケじゃない。
ずっと自分の夢は「子どもを3人産むことです」って言ってるんですけど、私は、幼少期自分が見ることのできなかった「幸せであったかい家庭」をつくることが人生最大の夢です。子どもができるチャンスがあるなら、若いうちのそのチャンスを得ることが一番大事だからその時がきたらそちらを最優先にしようとずっと考えています。自分が幸せじゃないと、地球の反対にいる人達を幸せになんてできないと思うんです。
シエラレオネといったら必ず辿り着く日本人として、日本とシエラレオネを毎年言ったりきたりして、70歳まで挑戦し続けていきたいです。いつか平均寿命底上げするくらい、貧困の根底をチェンジさせる、でっかいソーシャルインパクトも起こしたい。でも、根本的には、私は私が一番大事です。
3.圧倒的に鈍かった
国際協力を続けていく中で、「自分が辛くなってしまう人」がいます。
現地でスラムに住む人々や、障害をかかえる物乞い、お腹をすかせたストリートチルドレンをみて、いたたまれなくなり、現地のレストランで食事する自分、外国人としてセーフトラベルを享受する自分、現地を目の当たりにして何もできない自分に、辛くなってしまうのです。
私は物乞いのおじさんには気さくに話しかけて寄付をし、ストリートチルドレンには一晩のごはんを買ってあげたりするのですが、上記で辛くなってしまう人は、目の前にいる人から目を背け彼らとコミュニケーションがとれず、まず持続可能性だ!社会の根本を変えよう!という思考に陥りがちです。それは間違っていないのですけれど…
この4年で私が現地で行ってきた活動は、地域の人と仲良くなること。目の前で困っている人と一緒に生き、手を差し伸べることでした。地域コミュニティの中での信頼やある程度の慣れという土台がなければ、その次の段階、社会を一挙に変えるようなソーシャルインパクトは絶対に起こすことはできません。急ぐ必要はないんだと思います。
ちなみに、現地でおいしいものを食べ、たまにビーチへ遊びに行ったりする自分は、いちいちストリートチルドレンをみても動揺しません。
飛行機が遅れて空港でセクハラされても、強盗タクシーに乗ってお金を取られても、慌てたりしないと思います。最初から鈍かったのか…。免疫が途中でできたのか…とにかく活動自体がむいていたのかもしれません。
4.シエラレオネより目の前にいる周りの人が大切
応援してくれる支援者・サポーターさん(学生だったら親を含む周囲の人たち)に現地での活動を認められなければならないというプレッシャーによって活動が苦しくなってしまう人もいると思います。
でも、一番の親孝行は自分が幸せになること、なんて誰かがうまいこと言ったように、応援してくれる人たちも、本当は成果が出たときに「やっぱり応援していたよかった」と思いたい気持ちはあるけれど、楽しく継続している姿をみせることが一番なんじゃないかなと思います。
私は、友人や周りにいる人たちの夢を応援することが好きです。勇気をもらえるし、切磋琢磨できるんですよね。シエラレオネで内戦が起きても、たった一人、友達が鬱で苦しんでいるほうが心配です。いつも応援してくれる人を大切にしよう!
4.「応援され力」だけが備わっていた。
振り返ってみると、最初はどうしてもシエラレオネに行きたかったので、無我夢中で借金もしましたが、お金がないようで、なぜかお金がありました。この4年間で任意団体を設立してから、信じられないことに1,000万円以上のご支援をいただいていました。
一度の渡航に50万~100万、現地オフィスや会社の登記も安いお金ではありませんでしたか、団体設立当初から根拠のない応援をしてくれる人が必ず現れ、いつもいつも必要な支援をしていただけたと思います。
私に唯一備わっていたのは「応援され力」だけでした。
会計も、英語も、リーダーシップも何もできる能力がなかったので、周りが「なんか、知らない国でむちゃくちゃやろうとしている子がいるぞ、これは心配だ」と思って、進んで助けてくれたんです。今での現地契約書は、ボランティアさんに書いてもらっています。。。汗
今では2018年4月から役員報酬をもらうことができ、私生活では貯金もできるようになりましたが、アルバイトをしながら行ったり来たりしていたころは、理解あるアルバイト先の社員さんに、死ぬほど応援&助けてもらいました。
反対に、完璧そう・順風満帆そうにSNSでふるまっていた起業家たちが、急に会社が倒産してしまったのか、めっきり姿を見せなくなったことが何度もありました。
応援される力とは=人から助けてもらえる能力だと思います。ありのままのしくじり失敗談のほうが、人間味があって人から愛されるのかもしれません。
「活動には共感できるかわからないけど(シエラレオネどこそれだし)なんか頑張ってるから応援するね!」が今まで通用してきたんですね。
これからますます活動に必要になってくる「信用」の部分で土台を作ることができたのは、間違いなく初期の頃、根拠もないのに応援してくれた皆様のおかげです。
5.必要ないと思った人との関係をバッサリ切った
これは「出会ったすべての人と損得勘定でお付き合いするべきだ」というわけではありません。
ようは人を見分ける力があるかないかで、人間関係がクリーンになるかどうかの問題です。
活動設立当初は、ネットワークビジネス目的で出会ってくる人、ただ女性と知り合いたいだけのボランティアさん、あからさまに営業がしたい一見さん、そういう人達の見分けが付かず、来る人来る人に八方美人だったので、そのたびにあらゆる影響を受ける自分がいて、その後の関係を断つときにも苦労しました。
今では、絶対にこの人と一緒に仕事したら苦労するだろうな…(例えば登壇依頼の時に依頼書を出してこない人とか…)この人と絡んでも未来がないな…というのがなんとなくわかってきたので、必要ないご縁を見分けることができてきたような気がします。
応援してくれる人すべてを特別に扱うことが、応援され続ける秘訣と勘違いしていたのですが…(お客さんは誰だって自分を特別にしてほしい)特別にすることと、大事にすることは違うことを今更学んだ活動5年目です。
趣味は、Twitterで他人の投稿に嫌味なレスをしてくる人を、事前にブロックすること。笑 あとは、名乗りもせずに「テレビみました」と会話しようとしてくる人も、「HPのお問合せフォームよりどうぞ。」と伝えるようにしています。匿名で質問ができるサービスも私は一切使いません。Facebookでお友達申請しても、メッセージがないとお答えできません。
6.全力公私混同で、人生をかけて応援してくれるパートナーができた
人生最大の奇跡と言ってもいいくらいうれしいかったことは、やっぱり活動を応援してくるパートナーの存在です。今までもいろんな紆余曲折あって「応援するよ」と言ってくれる男性はいましたが…笑 結局口だけの応援の人、私との幸せを自分だけの物にしたい人、アフリカ渡航を理解できなかった人…それから、自分の野望を実現しようとしていない人とは熱量の差があったような気がします。
今の旦那さんは、自分の会社を経営しつつも、アフリカまでついていってくれる人。事務局長・副理事長として、プライベートともに、全力で支えてくれる、私とは真逆の優しくて、いつもニコニコな優しい人です。(ちょっとひねくれてるけど…)
10個上の彼ですが、「死ぬときは私がみてるよ」(こわいw)が最大の合言葉です。自分がなくなるときに、大好きな家族に見守られて死ぬなんて人生で一番幸せじゃないですか。それを私は旦那さんにやってあげたい。最後の恩返しにしたいです。
7.ボランティアさんとの関係・活動が楽しい
単純に、アラジのみんなと一緒にいる時間が楽しいです。みんなそれぞれに優先順位がある中、たまたま土曜日に来られる人が顔を出してくれたり、いきなり本気で活動したいと言ってくれる子が現れたり、面白いです。
実は私は、人をまず信用するんですが、正直その期待値はかなり低いです。
お金を払って繋がっている関係ではないので、基本ドタキャンや、やるといったことが急にできなくなってしまった人には割りと寛容です。来るもの選び、去る者拒まずで特に気にもしないです。誰かがいないと困るという体制からやっと抜け出せたのもありますが…
まずは自分がやる。ボランティアとしてお手伝いをお願いするときも、「本当にやりたいことをやってね」ということを最優先にし、いつも手伝ってくれる人が、その後の自分の人生に役立つスキルや体験を絶対に見つけることのできる時間にするということを一番大切にしています。時間がきたらとっとと解散。一緒にご飯いくってなったら御馳走したいので絶対おごります。彼らが助けを求めているときには、一番に力になりたい。
今も毎週事務局のボランティアDayには新しいメンバーが訪れ、ずっと活動を支えてくれるメンバーもたくさん増えました。みんなに感謝です。
それから、名前も知らない人が突然テレビやHPをみて支援してくださったとき、人の暖かみに触れられる瞬間があって、それを感じられる私たちはとっても幸せだなと感じるんです。シエラレオネに感謝したいなと思う瞬間です。アフリカにいったからこそ、些細なことが幸せに感じられるようになったのかもしれません。
8.結局は覚悟があるかどうか
国際協力を仕事にするという仕事を選ぶとき、怖さよりも「怒り」のほうが強かった私ですが、結局は、精神論で覚悟するかしないかだと強く感じます。よく何が悩みか自分でもわからない人が事務所にきて、相談に乗るんですけど、結局腹据えて飛び込むか飛び込まないかだと思うんですよね。
シエラレオネのことをやらなかったら死ぬときに後悔すると思いました。たった一度の人生、何やってもいいと思うんです。親に反対されても、親は親の考えなわけだし。(うちの親は半分諦めつつ全力応援してくれてますが)
死ぬとき、後悔しないように
好きなことやって、わがまま通してもいいんです。
下里夢美
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