下里夢美プロフィール

下里夢美プロフィール

特定非営利活動法人Alazi Dream Project

(代表理事)

世界最貧国、西アフリカのシエラレオネ共和国にて「子どもには教育を、大人には仕事を」をテーマに活動するNPO法人アラジ代表理事。桜美林大学LA/国際協力専攻を卒業後、2014年から活動を開始し、17年にNPOを起業、法人化。テーラー(仕立て屋)生活向上支援・災害孤児支援・小学校支援などに従事する。2018年5月より現地法人Africa Lion登記。首都・フリータウンにゲストハウス「CHAMELEON」をOPEN。また、日本におけるシエラレオネの貧困に関する諸問題の啓発活動を行う。インタビューやテレビなど多数のメディア出演をする傍ら、小学校や大学での講演会も務める。二児の母。

講演・インタビューのご依頼はこちら(NPO法人アラジHP)

略歴

  • (1991年9月1日)山梨県に生まれる
  • (2009年3月7日)ドキュメンタリー番組「世界がもし100人の村だったら」で、シエラレオネの少年アラジに出会う
  • (2012年3月)バングラデシュNGO・BRACにてマイクロクレジットプロジェクト視察
  • (2013年)特定非営利活動法人「シャプラニール」 インターン
  • (2014年3月)桜美林大学 国際協力専攻卒業
  • (2014年3月7日)創設共同代表・坂井晴香とともに任意団体「夢支援NGOアラジ」創設
  • (2014年9月1日)日本ファンドレイジング協会・准認定ファンドレイザー資格取得
  • (2015年)特定非営利活動法人「WE21ジャパン」有給広報スタッフ
  • (2017年3月1日)アフリカ女子部を設立
  • (2017年7月7日)特定非営利活動法人Alazi Dream Project設立 理事長就任

私の生い立ち

私は1991年に山梨県にて生まれ、種なしブドウが世界で初めて成功した「春日居町」にて、母子家庭、一人っ子という幼少期を過ごしました。子どもの頃は、山でタケノコをとったり、川に入ってザリガニを捕まえたりと大自然の中で育ちました。ブドウと温泉と、そのころから漫画・アニメが大好きな田舎っ子でした。小学校・中学校では、周りの輪になかなか入れず、休み時間に読書や絵を描いたりしていました。

裸族に衝撃走る

生活保護をもらいながら母と近くに住む祖母に大切に育てられていたのですが、中学2年生、思春期真っただ中に突然、母親に18歳年上の実業家の彼氏を紹介されました。すでに独立している名前も顔も知らない父の娘(姉3人)と父の孫(甥っ子、姪っ子)が親戚に加わり、急に父と3人暮らしに。(姉たちが育てた黒豆芝の成犬もセットで家族に仲間入り)。幼少期から、母と裸族で過ごしていた私に訪れた人生最大の衝撃でした。

ブラック部活で友達が学校を辞める

高校では3年間クラス替えのない特進の英語総合コースで、部活は県内1位の吹奏楽部に入部しトランペッターに。特殊な家庭環境と部活・勉強のストレスに当時はとても苦しみました。部活は今でいう、ブラック部活です。仲間はどんどん辞めていき、部活のストレスで学校まで辞める友達も。山梨県という狭い世界で必死に生きていました。※部活以上に苦しい経験は、活動はじめて6年目の今でもないので、相当これで打たれ強くなりました。

英語総合コースで3年間クラス替えがなく、クラスはとっても楽しかったのを覚えています。授業中、一番先生たちに絡んでうるさくしていたら、先生にテレビに出ないかと言われ、地元番組でトランペットのソロを吹いた記憶があります。笑 そのころ、数学に躓き授業を完全放棄。苦手科目の授業に一人ボイコットなど、かなりの問題児でした。笑

テレビでシエラレオネの男の子・アラジ君に出会う

2009年3月7日。8か国のストリートチルドレンに焦点をあてた有名なTV番組「世界がもし100人の村だったら」を偶然にも視聴した時のことです。そこで、世界で一番平均寿命が短い国「シエラレオネ共和国」のことを初めて知りました。

私は8か国のうちのどのストリートチルドレンよりも、シエラレオネのとある男の子のことがまったく忘れられませんでした。

その後の人生を全て変えてしまうくらいの、衝撃だったのです。

3か月分のお給料の結婚指輪で、子どもたちが武器を持つ

テレビに映るシエラレオネの男の子は、長く続いた「ダイヤモンド紛争」の犠牲者でした。良質なダイヤモンドが採取されるこの国で、政府と反政府軍がダイヤモンドの鉱山の利権をめぐり10 年以上も市民を巻き込みながら抗争しあったのは、アカデミー賞を受賞した、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ブラッド・ダイヤモンド』でも有名です。

ドキュメンタリーでとりあげられた8才の男の子は、両親を反政府軍に目の前で殺されたところを目撃し、精神的に深い傷を負いながらも、その日暮らしで兄弟を養っていました。父親は銃殺され、母はレイプされた後、首を切られて亡くなったそうです。ドキュメンタリーの中の8か国のどのストリートチルドレンよりも、壮絶な経験をしていた子どもでした。日本の番組記者が彼に聞きます。「なにか欲しいものはある?」と。その時の彼の答えが私はずっと忘れられなかった。

「勉強がしたい。」

奪い合えば足りず、分け合えば余る

8才のアラジ君は、学び知識を得ることで社会がよくなっていくことを知っていた。そして、ひもじいながらも兄弟と分け与え、ともに生き合うことを知っていた。そんなアラジ君に心を打たれ、同時に、勉強に部活に家庭に何もかも持っている自分はすごく恵まれていることに気が付きました。その時私は思ったんです。この世のすべてのできごとは、”奪い合えば足りず分け合えばあまる”んじゃなかと。先進国に生まれた私たちが当たり前にしなければならないことはなにかと。

その頃から、アフリカの作られた貧困・フェアトレード・戦争ビジネスに興味がわき、将来ずっと国際支援に携わりたいと思うようになりました。

国際協力の専攻できる大学へ

3年間担任だった先生の母校:桜美林大学を進められ、国際協力を専攻しました。大学1年時にアジア地域で最も貧しいといわれる国「バングラデシュ共和国」で世界最大のNGO・BRACのプロジェクトを視察させていただいたり、日本で一番歴史あるNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のフェアトレードプロジェクトを研修させていただいたりしました。その後は、シャプラニールでインターンさせていただきました。

と言っても、学生団体に所属し海外に研修にいく、意識高い系大学生ではまったくありませんでした。焼肉屋で稼いだバイト代を焼肉かカラオケに散財し、ひがな彼氏か友達が泊まりにきてオールで宅飲みという、だいぶおチャラけた女子大学生でした。でもなぜかアラジ君のことは1日も忘れたことがありませんでした。

大学で国際協力を学べば「世界で一番命の短い国・シエラレオネ」のことをみんなが知っているだろう、誰かがもうすでに活動をはじめていて、そういった学生団体に入れるだろうと思っていた私。

しかし、シエラレオネに詳しい人や団体には、結局知り合うことができませんでした。

NPO法人アラジができるまで

大学の学びは「国際法」「NGO論」「フェアトレード」「児童労働」「ジェンダー」など興味深いものばかりでしたが、就職活動がはじまると国際協力ゼミの仲間とともに、”葛藤”する日々がはじまりました。

「ボランティアで食べていけるのか?」

「このまま学んだことを生かさずに企業に就職するのか?」

「新卒でNPOに入れるのか?」

国際協力やボランティアを学生時代に一生懸命取り組んでいた大学生なら、誰もが直面する悩みだと思います。

あの人ができるんだったら私にもできる

そんな中、私は周りとはまったく別のことを考えていました。神奈川県内にあるとある認定NPO法人でアルバイトスタッフになり、そのまま卒業後もそこに居座り広報の有給スタッフになりました。そして兼ねてから大学の学びは有用だけれど、NPOとしてのマネタイズを学びたい、0から1を私も作り上げたい、実践的な寄付集めや、NPO職員がきちんと社会貢献で食べていける仕組みを大学では教えてくれなかった、と思うようになりました。

そこで私は、港区にあるファンドレイジング協会のファンドレイザー資格講座を受講し、「准認定ファンドレイザー」になりました。ファンドレイジングはファンド=FUND(資金)調達の実践方法で、社会問題を解決するために必要な資金や仲間を効果的に集めてくる人のことをファンドレイザーといいます。それと並行してNPO法人設立や起業を視野にいれ、広報技術を学ぶために、デザインの専門学校へ通いました。女性が社会貢献で食べていけることを社会に証明したい、そしてそれを実践している人に、ものすごく憧れをいだくようになりました。

発信を続けたら、必然の出会いは必ず訪れる

そんなことを漠然と考えていたときに、バングラデシュを支援するインターン先のNPO「シャプラニール」主催の「チャリティーバーベキュー」に参加しました。大学での学びから、バングラデシュ・カンボジアを中心としたアジア地域の支援を考えていた私は、シャプラニールの理事やスタッフさんのいるテーブルで真剣になぜか誰も聞いたことのないような「シエラレオネ共和国」の話しをしていたんです。バングラデシュの支援をしている会のバーベキューで。笑

そしたらなんと理事の方たちが「あっちにもまったく同じ話しをしている子がいるよ」と教えてくれました。のちに任意団体アラジを共同設立したメンバー「坂井晴香さん」との必然の出会いでした。

彼女は私の一つ上で、アラジ君を知ったことがきっかけで、実際にシエラレオネにも女一人で渡航した経験をもつつわものでした。出会ってからアラジを設立するまでに3か月もかからなかったことを昨日のことのように覚えています。「世界がもし100人の村だったら」のオンエアでアラジ君と出会ったちょうど5年後の、2014年3月7日(土)に、任意団体アラジができました。

彼女が青年海外協力隊でマラウイに赴任したことをきっかけに、活動2年目より坂井さんとの関わりはなくなりましたが、今でも人生の様々な気転でチャンスをくれる、とても大切な方の一人です。

私がやるしかない

シエラレオネと言い続けてきた私はうすうす気づいていました。シエラレオネの貧困の問題解決だけに専門的に取り組んでいる民間のNPOやNGOは日本に存在しないということ。シエラレオネへ気軽に行くことのできるボランティアプログラムもなく、青年海外協力隊の派遣もないこと、そして、日本大使館もないこと。もはや、誰も知らない国で、最初はどう関わっていけるのかまったくわかりませんでした。

けれど、自分が死ぬ間際のことをふと考えてみたんです。

シエラレオネに挑戦しなかったら、絶対に死ぬときに後悔する

と思いました。

こうなったら、私がやるしかない。

大学卒業後は就職せずに、飲食店でアルバイトをしながら、一人暮らしをし、アラジを試行錯誤しながら育ててきました。100万円以上の借金をして日本大使館のないシエラレオネに5度渡航。犬に噛まれたり…感染症を患ったり、渡航の度に下痢熱に悩まされ、宿泊先のスタッフにお金をだまし取られたり、強盗タクシーに乗ったり、空港で軟禁されセクハラされたりと、波乱万丈な事件もたくさんありました。

それでも、諦めずにSNSやブログで発信を続けていたら、シエラレオネの生の情報を発信し続ける唯一の日本人になりました。

今後も人生をかけて、これからも取り組んでいくと約束します。

シエラレオネの神様がゆめを選んだ

いつか誰かに言われた、「シエラレオネの神様がゆめを選んだ」という言葉。そんな風に、根拠のないジョークを真剣に言えちゃうところも、シエラレオネの人たちの好きなところ。

日本とシエラレオネに境目はない

私は、アニメや漫画が大好きなのですが、「プラネテス」という一番好きなアニメがあります。宇宙ゴミを回収するミッションのなか、戦いあり、涙あり、愛ありの超ハートフルなアニメなんですが、その中で、「地球と宇宙の境目はどこだと思う?」という投げかけがあるんです。

その時、主人公の弟が、大気圏のはざまだって答える。でも、作品の中では「境目はないんだ」っていうのが答えでした。宇宙と地球の境目なんてないんだ。すべてはつながっていて、どんなに遠くにいても、長い間旅をしても。宇宙から地球を見ると国境なんてないんだ。世界は一つなんだって。

大学卒業後も任意団体アラジを軌道に乗せつつ、アルバイト先の環境に甘えまくっていた私。サラリーマンのお客様を接客しているときに、将来の夢の話しをしました。「アフリカを救いたい」というようなことを言ったら、案の状「ボランティアでしょ?」「日本にも問題はあるのになんでアフリカなの?」っていうようなことを言われました。

私は、アラジの活動を立ち上げてからずっと、「なぜ日本ではなくアフリカなのか」のいい答えを探し続けていました。先進国に生まれた義務だから、アフリカが好きだから、慈善活動がしたいから、かわいそうだから、といってもどれもやっぱりしっくりこない。

でも、国境も、人種も、言語の違いも日本とアフリカを隔てて考える理由にはならない。

今となっては、遠いアフリカで起る問題でさえ、海を越え、陸を越え、巡り巡って自国にも影響する。

日本とアフリカに違いはない、それでいいんだと思う。

70歳まで挑戦する!

シエラレオネで活動をする私は、携帯と一眼レフをぶら下げ、腕時計式ライトに片手にはPCというフル重装備。道行く人は、「ゆめ、今日はどこに行くの?」「ゆめ、ご飯食べていかない?」「ゆめ、お願いだから携帯をカバンの中にしまって!」というように、私の心配ばかりしてくれます。一度目の渡航の時、食べ物が合わなくて、「ゆめがみるみる痩せていって心配だ」とスラムの住民たちに心配されたり、4度目の渡航のときは、犬に噛まれて大騒ぎ。近所中の人にお詫びされました。誰もが助け合って生きているシエラレオネの人たち。日本からきた私ですら受け入れ助けてくれるシエラレオネの人たちに、恩返ししたい。

そんな風に私にとっては見知った、馴染みのある人たち。けれど、顔の知らない誰かを思って、寄付を託してくださる方たちが大勢いることにも、日々とても感動しています。

シエラレオネに挑戦し続けられること、人の温かみに、活動を通して触れることのできること、ほんの些細な出来事が、アラジをはじめてから6年、とてもとても幸せに感じています。

発信すれば、絶対に誰かが応援してくれる。一番頑張っている人を、根拠もなしにイイネって応援してくれる、そんな社会に日本はなりつつある。

シエラレオネの友達が

「この国は地獄だ」

と言いました。

私は、どんな方法でもいいから

シエラレオネに住む子どもたちに、教育を。

大人たちに仕事を。

「シエラレオネに生まれてよかった」

と言える人を、増やすことが使命です。

70歳まで私は、シエラレオネに挑戦し続けます。

そして、70歳になったときに、この活動が誰にも引き継ぐことなく、世の中からなくなったらいいな。

皆様へのお願い

現在、私たちが2014年から様々な支援活動を続けるシエラレオネ共和国にも、コロナウイルス感染症が上陸しています。

2020年7月1日より、感染症予防のためのクラウドファンディングを開始します。

皆様のご支援、どうぞよろしくお願いいたします。

最貧国シエラレオネ、あと1万人に布マスクを届けたい!

下里夢美

 現在の私

2018年9月1日の27歳の誕生日に、NPO法人アラジをかねてより副理事・事務局長として支えてくれている、支倉常明さんと結婚しました。(E-learning制作会社エレファンキューブを経営しています)年齢が11個離れている彼からは、いろいろと私の苦手な分野を補ってもらい、彼は彼でシエラレオネという未開の地に猪突猛進する私との、第二の人生はとても面白いようです。笑

旦那さんとの馴れ初めー変わっている私より変わっている旦那さんの紹介

2019年5月には、シエラレオネの農村部におかける新たな貧困削減プロジェクト立案調査のために、彼自身は3度目のシエラレオネに渡航しました。

それから、私自身はあれから借金は無事返し終わりまして…笑 NPOとしては4期目を迎えました。

ありがたいことにメディアや取材、大学での講義など数多く発信の場をいただけるようになりました。現在はアラジから月7万円の役員報酬をいただいています。彼と生活を同じくしたことで、やっと貯金のできる暮らしができるようになりました。(皆様からいただいたお給料が私のお仕事の対価になっています。多すぎる・少なすぎると感じることは私自身としては今のところありません。)

私はいろいろな方に「下里さんはすごい」「バイタリティがある」と言われることがあります。しかし私は自分には「挑戦力」があったとは思いません。私には、親の介護も、借金も、自分の病気もなかった。挑戦できる環境に恵まれていただけなのです。飲み水も、学校もない、1日一食でその日暮らしをする、シエラレオネの農村部の子どもたちをみて、最低限の社会保障や、周りからの応援というチャンスがなければ、ハングリー精神すら生まれないということを、私は知っています。

そうするとやはり考えるのは、ますます「シエラレオネに挑戦することは私の使命で、生かされている」ということです。日ごろ応援していただいている皆さんのサポートの積み重ねで、今やりがいと感じる活動を仕事にできていることは、やっぱりとても幸せです。

70歳まで生きるとしたら、それまでずっとこの命をかけてシエラレオネの貧困解決という課題に取り組んでいきたいです。国際協力は自己犠牲になってはならない論が世の中の風潮?なんでしょうか。でも一人くらい命をかけて新しいことやってもいいんじゃないのか、と思っています。

私の夢

私にもささやかな夢があります。一人っ子で寂しい幼少期を過ごしたので、あったかいお母さんになりたいです!子どもがたくさんいてワイワイやれたら嬉しいな~。大好きな大好きな旦那さんとそんな家庭を築けたらと、日々思っています。将来は子どもが3人欲しいです!!

でもしょっちゅうシエラレオネに渡航すると思うので、子どもたちには力強く育って欲しいです。

2015年7月19日

2020年6月30日更新

→2019年3月11日に男の子(第一子)を出産しました。

→2020年3月16日に男の子(第二子)を出産しました。

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