下里夢美の生態について

こんにちは!下里夢美です。

西アフリカ女一人旅


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イベントカメラマン
※現在までに50回以上のイベントカメラマン経験あり
交通費+5000円2~3時間のイベント1回
※広報も協力します!
イベントコンサル一人集客500円イベント集客のお手伝いをいたします。一人紹介ごとにイベント参加費から500円のキャッシュバックの成果報酬型です。
講演会10,000円~アフリカ活動報告
企業様向けファンドレイジングセミナー等
プレゼン大会審査員
アフリカお料理教室講師10,000円~小学校・中学校・イベント等でアフリカ料理の講師を務めます。
出張アフリカ料理出店応相談イベント等でアフリカ料理のブース出展をいたします
学生団体限定ファンドレイジング講師一人500円×6名様以上学生団体限定で、ファンドレイジングの基礎をお教えします。
なんでも相談会
(特に恋愛相談が多い!)
3,000円
※ただいま恋愛相談は無料です!
カフェで1時間の個別面談です。起業・アフリカ・恋愛相談が多いです。

メールアドレス

alazisdream@gmail.com

Facebook

shimosato yumemi

※Facebookのメッセンジャーだと一番返事しやすいです。

までご連絡ください。

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Alazi Dream Project代表の下里夢美です。最近インタビューの機会を多くいただき、自身の考えもだいぶ固まってきました。そろそろなぜ私がアラジをはじめたのか、私がどういう人間でどんなふうに育ち、どうしてこういう活動をするにいたったのか、ながーい自己紹介として、書き連ねたいと思います。笑

下里夢美「ライン@」はじめました(´◉◞౪◟◉)

ライン@なるものを始めました。(はじめたばっかりです)

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ライン@では…

  1. 下里が日々どうやって生きているか
  2. アフリカ旅の総費用
  3. 現在のアラジの活動状況
  4. アラジイベントのお知らせ(メイン!)
  5. 人と人とのご縁の繋ぎ方

その他にも…

SNSでは絶対に呟かなかった彼氏の情報…も?(いらない?)

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下里夢美とは?

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夢持つ人がもっと輝くために、誰もが誰かの夢を応援できる社会の実現をめざし、夢追い人に登壇機会を提供・イベント収益の2割を「世界で最も命の短い国:シエラレオネ共和国」での就労支援に役立てることを目指した「Alazi Dream Project(旧)夢支援NGOアラジ」代表・ファンドレイザー。1年半の活動で100名以上に登壇機会を提供し、述べイベント参加者人数は500名を越える。

登壇履歴イベントタイトル登壇内容主催
2014年6月14日第13回海外日本人交流会ゲストトーク海外日本人交流会主催者:若林育真様
2015年5月31日セミナー「自分の強みで人生を生かす」ゲストトークフリーランスライター上村菜穂様
2015年9月12日第6回JMF(ジャパン・モチベーション・フォーラム)登壇JMF様
2015年11月4日11月4日(水)第2回定期勉強会「ファンドレイジングとは?(初心者編)」ファンドレイザー講師特定非営利活動法人ダイヤモンド・フォー・ピース様
2016年5月21日神保町おとなの中学校一限目ファンドレイザー講師神保町おとなの中学校
2016年8月16日学生ドリプラ×アラジ:代表ぶっちゃけトークコラボトーク学生ドリームプランプレゼンテーション様
2016年8月18日JMF All Stars FesクロストークJMF様
2016年8月27日GOGOアフリカ登壇特定非営利活動法人ダイヤモンド・フォー・ピース
2016年8月30日女子就活☆応援セミナー「アドカレ」パネルトークやまとなでしこプロジェクト【女子就活支援】
2017年1月27日540space登壇540space様
2017年3月15日学生ドリームプランプレゼンテーション東京2016コメンテーター学生ドリームプランプレゼンテーション様

年月日メディア掲載履歴 主催
2015年10月「やばせ一郎の元気が出るラジオ」ゲストトークFM茶笛さま
2015年10月ミライデザインチャンネル(前編)(後編ゲストトーク福田泰仁さま
2015年12月「待ち合わせをのぞいてみたら…10代20代まさかの夢」ドキュメンタリーズームイン!!サタデー
2016年3月『誰もが誰かのドリームサポーターに』インタビューおうち、てらすさま
2016年3月高校時代のあるテレビ番組がきっかけに。「シエラレオネ」って知っていますか?インタビューガクビジ学生×ビジネス=圧倒的成長さま
2016年11月No.11 自殺未遂から一転、夢追うアフリカ女性起業家に~アラジ・キアラ代表:下里夢美インタビュー輝く女性のための夢インタビューサイト「キアラ」
2016年11月1.【Alazi 01】世界一寿命が短い国シエラレオネ共和国を日本から支援する
2.【Alazi 02】NPO法人についてわかりやすく説明してもらった
3.【Alazi 03】NPO法人の助成金についてわかりやすく教えてもらう
4.【Alazi 04】シエラレオネ支援を始めるきっかけ
【Alazi 05】西アフリカは人種差別がすごかった
YouTube番組出演面白いTV様

現在、「Alazi Dream Project」を通して、夢追うすべての日本人が夢を叶えるための後押しとして、いろいろなテーマで活動される方が、誰かに夢を届けられるような「登壇機会」の提供をしています。具体的には、少人数制で集まって交流する「プレゼン発表会」や、「社会を変える」をテーマに社会問題解決に取り組む活動家が限定して登壇する「ソーシャルドリームコンテスト」の開催を通して、1年半の活動で述べ100名以上に登壇機会を提供してきました。

また、アラジは「世界で最も命の短い国・シエラレオネ共和国」での支援を目指し活動する、任意の国際協力団体でもあります。アラジは、アフリカがかわいそうだから一時の金銭的な支援をするのではなく、日本人が自分自身の夢を語ることでそのイベントの収益の2割が国際支援となる、まったく新しい「進化した国際協力団体」です。2014年3月7日からスタートしたこの活動は、同年10月に拡大した西アフリカ三国(シエラレオネ・ギニア・リベリア)での「エボラ出血熱」の影響で現地活動はスタートしておらず、現在は「アフリカ料理教室」での活動を通して、アフリカ諸国の諸問題の啓発活動、アフリカ理解活動を進めております。

生い立ち

私は1991年に山梨県の当時は東山梨郡の山梨市にて生まれ、種なしブドウが世界で初めて成功した「春日居町」で幼少期を過ごし、その後「石和温泉郷」にて20歳まで過ごしました。ブドウと温泉と、そのころから漫画・アニメ・動物が大好きなド田舎少女でした。

母子家庭、母一人娘一人で幼少期を過ごし、中学に進学と同時に母より18歳年上の父親と、名前も顔もしらない姉3人が初めてできました。(父とは5年間しか一緒に住みませんでしたが今では仲良しです!)高校では3年間クラス替えのない特進の英語総合コースで、部活は県内1位の吹奏楽部に入部しトランペッターに。特殊な家庭環境と部活・勉強のストレスに当時はとても苦しみました。ゆえにものすごく打たれ強くなりました。笑

私が一番苦しかったのは、いつもテスト期間でした。テスト期間でやっと毎日死にもの狂いの部活が休めるのですが、時間を自由に使うことのできるテスト期間でしか勉強ができず、いろいろな誘惑にかられました。世界のことなんか目に入らずせまーい山梨県で自分自身を生きることに必死でした。

そんな時、高校2年の3月7日のテスト期間中のことでした。あれは昨日のことのように覚えているのですが、その時8か国のストリートチルドレンに焦点をあてた有名なTV番組「世界がもし100人の村だったら」を偶然にも視聴した時のことです。

私は8か国のうちのどのストリートチルドレンよりも、シエラレオネのとある男の子のことがまったく忘れられませんでした。

シエラレオネ「ダイヤモンド紛争」

テレビにうつるシエラレオネの男の子は、長く続いた「ダイヤモンド紛争」の犠牲者でした。良質なダイヤモンドが採取されるこの国で、政府と反政府軍がダイヤモンドの鉱山の利権をめぐり10年以上も市民を巻き込みながら抗争しあったのは、あのアカデミー賞を受賞した、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ブラッド・ダイヤモンド』でも有名です。

ドキュメンタリーでとりあげられた8才の男の子は、両親を反政府軍に目の前で殺された過去がありました。父親は銃殺され、母はレイプされた後、首を切られて亡くなったそうです。ドキュメンタリーの中の8か国のどのストリートチルドレンよりも、壮絶な経験をした子どもでした。

そんな彼は復興の兆しの見えないこの国で、学校にもいけずその日食べるものもなく、ダイヤモンド鉱山で日々鉄クズを探しながら、兄弟を養うことで精いっぱいでした。

日本人の番組記者が彼に聞きます。「なにか欲しいものはある?」と。その時の彼の答えが忘れられませんでした。

「なにも欲しいものはないから、勉強がしたい。」

8才の少年は分け与え生き合うことを知っていた。

8才のアラジ君は、学び知識を得ることで社会がよくなっていくことを知っていた。そして、ひもじいながらも兄弟と分け与え、ともに生き合うことを知っていた。そんなアラジ君に心を打たれ、いたく感動したと同時に、勉強に部活に家庭に何もかも持っているのに、なにもかも手放そうとしていた自分がすごくみじめになりました。その時私は思ったんです。この世のすべてのできごとは、”奪い合えば足りず分け合えばあまる”んじゃなかと。先進国に生まれた私たちが当たり前にしなければならないことはなにかと。

その頃から、アフリカの作られた貧困・フェアトレード・戦争ビジネスに興味がわき、将来ずっと国際支援に携わりたいと思うようになりました。

国際協力の専攻できる大学へ「バングラデシュ研修」

アラジ君をみた私は、高校を卒業後、桜美林大学で国際協力を専攻しました。大学1年時にアジア地域で最も貧しいといわれる国「バングラデシュ共和国」で世界最大のNGO・BRACのプロジェクトを視察させていただいたり、日本で一番歴史あるNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のフェアトレードプロジェクトを研修させていただいたりしました。その後は、シャプラニールでインターンさせていただいたり、パレスチナ地域に興味が芽生え、学生団体「パレスチナについて考える会」の広報を担当したりしました。

が、しかし、学生団体に所属し海外に研修にいく、意識高い系大学生ではまったくありませんでした。焼肉屋で稼いだバイト代を焼肉かカラオケに散財し、ひがな彼氏か友達が泊まりにきてオールで宅飲みという、だいぶおチャラけた女子大学生でした。でもなぜかアラジのことは1日も忘れたことがありませんでした。

「Alazi Dream Project」ができるまで

大学の学びは「国際法」「NGO論」「フェアトレード」「児童労働」「ジェンダー」など興味深いものばかりでしたが、就職活動がはじまると国際協力ゼミの仲間とともに、”葛藤”する日々がはじまりました。

「ボランティアで食べていけるのか?」

「このまま学んだことを生かさずに企業に就職するのか?」

「新卒でNPOに入れるのか?」

ゼミ仲間一人一人が真摯に考え、悩み、結局は企業から内定をもらい、葛藤しながらも最後まで研究し、仲間たちは卒論を提出していました。

そんな中、私は周りとはまったく別のことを考えていました。神奈川県内にあるとある認定NPO法人でアルバイトスタッフになり、そのまま卒業後もそこに居座り広報の有給スタッフになったんです。そして兼ねてから大学の学びは有用だけれど、NPOとしてのマネタイズを学びたい、0から1を私も作り上げたい、実践的な寄付集めや、NPO職員がきちんと社会貢献で食べていける仕組みを大学では教えてくれなかった、と思うようになりました。あんなにも、面白い学生団体がたくさんあったのに、(私は全然活動してなかったけど!)みんなの夢が4年間で終わってしまうなんて!!!

そこで私は、港区にあるファンドレイジング協会で当時最年少で受験をし「準認定ファンドレイザー」になりました。ファンドレイジングはファンド=FUND(資金)調達の実践方法で、社会問題解決プロジェクトに必要な資金や仲間を効果的に集めてくる人のことをファンドレイザーといいます。それと並行してNPO法人設立や起業を視野にいれ、女性が、社会貢献で食べていけることを、社会に証明したい、そしてそれを実践している人にものすごく憧れをいだくようになりました。

そんなことを漠然と考えていたときに、バングラデシュを支援するインターン先のNPO「シャプラニール」主催の「チャリティーバーベキュー」に参加しました。大学ではバングラデシュ・カンボジアを中心としたアジア地域の支援を考えていた私は、シャプラニールの理事やスタッフさんのいるテーブルで真剣になぜか誰もきいたことのないような「シエラレオネ共和国」の話しをしていたんです。バングラデシュの支援をしている会のバーベキューで。笑

そしたらなんと理事の方たちが「あっちにもまったく同じ話しをしている子がいるよ」って教えてくれたんです。のちに「Alazi Dream Project」を共同設立したメンバー「坂井晴香(現在は青年海外協力隊としてマラウイ共和国に赴任中)」との必然の出会いでした。彼女は私の一つ上で、アラジ君を知ったことがきっかけで、実際にシエラレオネにも女一人で渡航した経験をもつつわものでした。出会ってからアラジを設立するまでに3か月もかからなかったことを昨日のことのように覚えています。「世界がもし100人の村だったら」のオンエアでアラジ君と出会ったちょうど5年後の、2014年3月7日(土)に。

なぜ日本ではなくアフリカの支援を?に私が見出した答え。

怒涛の高校時代を過ごした私は、そのころから壮大なものが好きで、アニメが好きで、星空をみるのが趣味でした。星空を眺めて宇宙に思いをはせたり、遥か遠くの西アフリカのアラジ君のことを思うと、自分の悩みはすごーくちっぽけで、全は一で、私は宇宙の中の小さな一でしかないと思うとものすごく気が楽になりました。

これから楽しいことがあるかわからなかったけど、そして私はクリスチャンじゃないけど、今思うと出会うべきものに、ベストタイミングで引き合わせてくれる、神様がいたんじゃないかって、時々思う。

大好きなアニメに「プラネテス」というアニメがあります。宇宙ゴミを回収するミッションのなか、戦いあり、涙あり、愛ありの超ハートフルなアニメなんですが、その中で、「地球と宇宙の境目はどこだと思う?」という投げかけがあるんです。

その時、主人公の弟が、大気圏のはざまだって答える。でも、作品の中では「境目はないんだ」っていうのが答えでした。宇宙と地球の境目なんでないんだ。すべてはつながっていて、どんなに遠くにいても、長い間旅をしても。宇宙から地球を見ると国境なんてないんだ。セカイハヒトツなんだって。

それから、私は国際協力の専攻できる大学に進学し大学時代は、一瞬焼肉屋で働いた後、お好み焼き屋でバイトをしていました。当時、家庭環境が嫌で嫌で、バイト代をためて大学近くに部屋をみつけてきて突然家を飛び出したんです。(俗に言う家出。笑)そんなこんなで、生活費が足りず、洗濯機を買うお金がなく手洗い(バングラ式と命名していた。笑)でなんとかまかないで生きのびていました。

バイト先でとあるサラリーマンのお客様を接客しているときに、将来の夢の話しをしました。「アフリカを救いたい」というようなことを言ったら、案の状「ボランティアでしょ?」「日本にも問題はあるのになんでアフリカなの?」っていうようなことを言われました。

私は、アラジの活動を立ち上げてからずっと、「なぜ日本ではなくアフリカなのか」のいい答えを探し続けていました。先進国に生まれたから、アフリカが好きだから、慈善活動がしたいから、かわいそうだから、っていってもどれもやっぱりしっくりこない、

そしてずっと日本人の夢を応援することで、シエラレオネでの国際協力資金が集まる仕組みを構築しつづけ、なんとか双方の問題解決をする新しい団体を生み出そうとしていました。(まさに今の仕組みがそれなんですが)

でも、誰かに突っ込まれてその答えを用意するような形で、こういう仕組みにしなくてもよかった。国境も、人種も、言語の違いも日本とアフリカを隔てて考える理由にはならない。(そんなことは押し通せないんだけど)。日本とアフリカに違いはない、それでいいんだと思う。

夢はかなう。時にいろいろな方法で。笑

母の話しをします。笑 母は、山梨県春日居町に生まれ小学校・中学校・高校とまったく私と同じところへ通い、父と結婚後ゴルフのキャディーになりました。物心ついたときにはすでに私は父の顔は全然知らなかったのですが、生活保護受給者限定のアパートに二人で暮らし、母の巧みな法制度の活用によって私たち二人は生活していました。笑

お金がないはずなのに、母は趣味のスポーツカーを乗り回し(二人のりで丁度いいとかいって。笑)いつも陽気で、子ども時代の私より無邪気で、私の友達にも全力で手を振る変わり者でした。(あ。生きてます!)ゆえに母はモテました。笑

そのころの私はというと愛想のかけらもない冷徹な子どもだったので、どこかおちゃらけてふざけた大人が一番苦手でした。母に似たくはないと思い、母の子ども時代の写真をみたらまさに自分が写っていてショックだったのを覚えています!笑

母の口ぐせは、「いつか庭付き平屋の一軒家でゴールデンレトリバーを飼いたい」でした。

壮大すぎて子どもながらに無理だとわかっていたのですが、母は父と再婚後、父の職場で働きはじめ、周りの社員が全員事情を知る中、バリバリ出世してついに母名義の家をどーんと建てたんですね。もちまえの明るさと、女手ひとつでここまで一人で子育てした打たれ強さと、根性で。

まさかの、犬は黒豆柴になっちゃいましたけど。笑

尊敬する父の話しも、させてください。

父は、山梨県の青果市場の卸売りの跡取りで、還暦を迎え会長になりました。私が初めてであった時は56歳で、パンチパーマ・タンクトップ・サングラス・金のネックレス・セルシオといういで立ち。まじでヤ○ザかと思いました。

私と父は血がつながっていません。私は下里家の養子縁組。父と母は18歳離れており、いわゆる年の差婚というやつです!年の差婚だと、いろいろと奇妙なことが起きます。笑 私の母は、兄弟・姉妹の中で一番末っ子で親戚の集まりなんかだと私も一番かわいがられたのですが、父が母方の親戚の集まりにいくと、祖父・祖母の次に年上という、奇妙なことが起こります。 母の一番上の姉の旦那さんより年上。でも母は一番の末っ子で父も新参物なので、いつもの社長ふるまいはできません。

そんな中、祖父の77の喜寿のお祝いの時でした。母方の親戚の中でそっせんして雑務をこなし、頭を下げ、酔っぱらうと手の付けられない愛称・猿じいの面倒を一番みて、猿じいこと祖父と一番打ち解けよき友達となったのは、父でした。

多趣味で、ゴルフのシニアアマチュア選手権で何度も優勝したり、母の兄の息子を釣りに連れて行ったり、(父は私で娘4人目で息子がいなかったので、母の兄の息子がお気に入り)、人脈を大事にし、体も心も器の大きなまさに「社長」人間です。「お父さん」とは呼んだことないけど、尊敬する人生の大先輩です。よし、いつか私の結婚式で呼んであげようかな。

国境も、血のつながりも誰かと私を隔てる理由にはならない。だから私はシエラレオネをみていくことにした。まだ冒険ははじまっていない。